こんにちはMasaです!
今回は三国志に関する観光スポット「赤壁古戦場跡」について
記事にしていこうと思うのですが、
赤壁の戦いって三国志ファンでなくても誰もが知っている戦いではないかと思います。
映画「レッドクリフ」で一躍名前が知り渡り、三国志の知名度を一気にあげた映画となりました。
今回はそんな魅力たっぷりな赤壁古戦場跡について記事を書いてみました!
目次
赤壁の戦いとは
レッドクリフを見た方なら赤壁の戦いはどのような戦いだったのか覚えていると思います。
簡単に説明すると、
曹操VS孫権・劉備連合軍の戦いです。
曹操が荊州牧劉表の死後、跡を継いだ劉琮を降伏させ、勢力を拡大している中、
ついに孫権が支配する呉に矛先を向けます。
この時、劉備は新野から曹操軍の追っ手を振り切って、夏口まで撤退します。
呉軍はというと、ほとんどが降伏派でしたが、周瑜や魯粛が諸侯を説得。
孫権もその意見を支持しついに曹操を迎え撃つよう命令します。
実際呉軍の兵力は3万程度で、劉備の軍勢は1万程度。
それに対し曹操は20万ほどの勢力で南下してきます。
(三国志演義では曹操軍100万と言われておりますが、当時の魏の人口から100万人も兵力に割けないのが現実です)
結果孫権・劉備連合軍は勝ってしまうんですよね。
ここで曹操が勝っていたら中国を統一することができたでしょうから、この戦いが本当に天下分け目の戦いとなったんです。
赤壁古戦場への行き方
僕は知り合いの中国の旅行会社の方の車に乗って武漢から直接行ったのですが、
新幹線やバスなどを利用して古戦場へ行く方法があるようです。
基本的に赤壁古戦場へ行くには、武漢からがアクセスがいいようです。
赤壁古戦場の最寄り駅は「赤壁北駅」で、この駅に行くには、
武漢から高速鉄道(新幹線のようなもの)に乗って行きます。
武漢から赤壁北駅までは約33分ほど。
赤壁北駅から赤壁古戦場までは約40kmほどあるのですが、
それでも赤壁古戦場までのバスや、タクシーがあるので、困ることはないと思います。
武漢から古戦場までは2時間ほどで行くことができますよ!
ホテルは武漢でとっておくようにしましょう。
赤壁市内にもホテルはありますが、武漢の方が栄えていますので、
色々楽しめると思います。
中国でホテルを取る際の注意点を記事にしたので、以下も参考にしてみてください。
赤壁古戦場へ
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そんなこんなで赤壁古戦場へ到着しました。
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中へ入り、三国志のイメージっぽい城壁の上を歩きます。
矛を持った兵士達がお出迎え。
でも実際に襄陽の城などはこのような感じだったので、時代背景はしっかり考えて作られているのでしょうね。
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なぜか関羽のトランスフォーマーが仁王立ちしていました。
こんなのが本当に中国っぽくていいですよね。
龐統の名残が残る赤壁古戦場
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この建物を抜け、古戦場跡内部へと足を進めて行きましょう。
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こちらは龐統・・・でしょうか。
説明ではここは龐統が兵書を読む読書部屋があったらしく、
赤壁の直前に魯粛と周瑜がここで、どのように戦うかを論じ合っていたそうです。
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ここには、「千年古藤」と「千年銀杏樹」が植えられています。
千年銀杏樹はなんと龐統が植田ものであるとされています。
どうやって調べたのかわかりませんが、1800年ほどの歴史がある樹木のようです。
また千年古藤から龐統は「連環の計」を思いついたといいます。
連環の計中国の兵法書に記載されているもので、曹操が、魏軍が船が揺れて船酔いしているのに悩んでいた時、龐統が曹操に、「船と船を繋ぎ合せれば船の揺れは収まり、船酔いもなくなる」と進言しました。
龐統の狙いは、「火計」で、船と船を繋ぎ合わせれば、一つの船が燃えればあとは自然に燃え移るし、船が個々で動けなくなるので、とても都合が良かったんです。
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こちらは鳳雛庵です。
鳳雛とは龐統のことを指していますので、龐統の家のことでしょうね。
この建物は1846年に建てられてあものということです。
ミニ赤壁や長坂の戦いの再現
さらに進んで行くと、異様な光景が広がっていました。
なぜか呂布と貂蝉の像が・・・
美人連環の計を表したかったのか。
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そしてなぜか長坂の戦いの趙雲の像も・・・
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これは周瑜でしょうかね。
赤壁の戦いを模してミニ赤壁を作ったのでしょうね。
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こちらは大喬小喬姉妹の像。
この場面は小喬が周瑜に嫁入りをしているということですが、わかりにくいですね。。。
歴史背景も考えずとりあえず置いとけ!感がすごいですが、
これも中国へ来たんだなあと感じさせるものでした。
赤壁の戦い陳列館
赤壁古戦場には赤壁に関する陳列館?博物館がありました!
その一部をご紹介したいと思います。
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こちらは長江で曹操軍と対峙している呉の帆船でしようか。
奥が日になっているので、おそらく日計が成功した後の様子を模しているのでしょうね。
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また博物館には呉の諸将や食の諸将の蝋人形がずらり。
全員の写真を撮りましたが、今回は呂蒙さんでご勘弁を・・・
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赤壁の戦いで使用されたであろう船の種類。
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諸葛亮が開発したとされる、諸葛連弩。
連弩は簡単にいうと連射式の弓ですね。
諸葛連弩は結構有名だと思います。
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漢の時代の青銅の剣です。
前漢か後漢かどちらのものかわかりませんが、相当昔のものですね。
赤壁へ
それではお待ちかね「赤壁」の文字が書かれた場所へ行きましょう。
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ここがかの有名な赤壁の地です!!
当時はこんな文字は書かれていませんでしたが、細かいことは気にせず。
ここに呉軍と魏軍が対峙していたと思うと本当に感動します!
向こう岸には魏の大軍がいたのでしょうね。想像しただけでも怖すぎます。
この地に来れただけでも幸せです。
三国志ファンの方ならこの気持ちわかってくれると思います!!
その他のスポット
赤壁古戦場には娯楽?アトラクションのようなものがありましたので、
それも合わせてご紹介します。
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まずは著作権などを無視した中国製のキャラクターの数々。
なぜか芝生の上に無造作に置かれていますが、
何を意味しているのかさっぱりわかりません。
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色々残念なことが多いですが、これはすごいです!
なんと乗馬体験ができます!
僕はやっていないのですが、友達がやっていてとても楽しそうでしたよ。
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ここでは諸葛亮が魏軍から100万本の弓矢を奪ったとされる名シーンが。
どうやら矢で船の上にいる兵士を射ることができるのだとか。
僕が行った際には営業していなかったのですが、現在はどうでしょうか。
おわりに
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
赤壁跡地はいろんな意味で最高でした!
自分が読んだ吉川三国志の文章をイメージしながら眺めた長江は、
言葉には言い表せないものでした。1800年前のことですが、
今もこうやって国を超えて受け継がれているのって素敵ですよね。
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