白帝城の行き方や観光内容は?三国志ファン必見劉備が亡くなった場所へ行ってみた

三国志ファンなら絶対に行きたい場所「白帝城」。

白帝城は蜀漢初代皇帝劉備玄徳が崩御した場所です。

小学生の時に吉川三国志を読んで以来のファンだった僕にとっては、

本当に行きたい場所でした。

 

白帝城へは長江三峡クルーズで行って来ました!

今回は白帝城についての記事を書いていこうと思います。

 

白帝城とは

 

白帝城は永安宮とも呼ばれ、

後漢初期の群雄の一人、公孫述によって築かれたお城です。

公孫述は巴蜀(現在の四川省付近)に地方王朝「成家」を建国した人物です。

 

その後後漢、三国時代になると、白帝城があった場所は

蜀漢の領地となり、夷陵の戦いで陸遜の火計で敗走した劉備が

長江を上ってきてこの白帝城へ入りました。

その後白帝城で崩御します。

 

白帝城は現在「全国重点文物保護単位」に指定されています。

全国重点文物保護単位は日本でいう日本指定文化財と似たようなものだと思ってください。

 

白帝城までの行き方

 

白帝城までの行き方は実はとても複雑なんです。

まずは重慶市まで行って、そこから船で行くか、

重慶北駅春から奉節まで車で行き、浜工国際バス停バスに乗り換えて行く方法があります。

 

一番楽な方法は、少しお金はかかりますが、

長江三峡クルーズ」(ツアー)を利用する方法です。

長江三峡クルーズは、重慶市と宜昌市の間の長江で運行しています。

このクルーズはもちろん白帝城だけではありませんが、

中国の大自然を満喫できるとても素敵なクルーズです。

僕もクルーズで白帝城まで行きました。

 

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2019年9月24日

 

クルーズから白帝城へ

 

クルーズ船から小さな船に乗り換えて、こちらに到着。

白帝城に行く前にまずはこの建物、依斗門を横切って行きます。

こちらは三国志にも出てきたようですね。

ダムの建設で水没するところにあったので、この地に移されたとか。

 

徒歩でバスまで歩き、バスで白帝城(孤島)の前まで移動します。

 

白帝城に一歩踏み込むとそこは三国志の世界

 

バスを降りて物売りの子供達とおさらばして、

少し歩くと白帝城の入り口につきます。

 

こちらの橋を渡って白帝城がある孤島へ。

橋を進んで行くと、蜀の旗がずらり。

ついに三国志の世界に来たなあという感じがします。

 

補足説明

もともと白帝城は陸続きでしたが、三峡ダムが建設されたことにより、水位が上昇。
なんと200mも上昇してしまいました。

 

 

諸葛亮と対面し、350段ほどの階段と格闘

 

橋を渡り中へ入ると、蜀漢丞相諸葛亮の像とご対面です。

なんかある会社の三国志のゲームのような像ですが、気にせず行きましょう。

白帝廟に行くにはこの長い階段を登らなくてはいけません。

当時は雨が降っていたので、本当に疲れました。

階段は舗装されていていましたが、

雨が降っていると少し滑って危なかったです。

 

 

階段を登りきるとついに白帝城です!

 

 

いざ白帝城へ!

 

 

ここがかの有名な白帝城です。

三国志ファンなら絶対に訪れたい場所。

蜀漢初代皇帝が崩御したのがこの場所です!!!!

明らかに当時のままの白帝城ではありませんが、そこは気にしません!

劉備や諸将がここへ来て劉備を看取ったと思うと、感動の一言に尽きます!

それでは中へ入って行きましょう。(まだ序の口です。)

 

劉備が祀られている場所へ

 

今回は三国志関連についての情報を書いて行きたいので、

他のポイントは省略します。

三国志以外にも、白帝城について書かれた詩などが展示されていました。

 

 

この場所には蜀漢初代皇帝劉備玄徳が祀られています。

この像は劉備です。

実際劉備を祀っている場所は中国国内にはたくさんあります。

有名なものだと成都の武侯祠ですね。

でもここで本当に劉備が亡くなったのなら、ここに武侯祠を立てるのは理にかなっています。

 

またここには劉備の義兄弟である関羽、張飛、そして、

水魚の交わりと言われた諸葛亮の像もありました。

 

ここを行くと、后主祠がありました。

この像は劉備の実子劉禅です。

なぜ劉禅がここに祀られているのかはわかりませんが・・・

 

 

劉備託孤の場面を再現

 

白帝城といえば1番のメインは諸将が劉備を囲んで、遺言を託す場面でしょうね。

その名シーンを再現していました!

 

奥から、李厳、馬謖。。。名前がみえなくて、他3名は覚えていません。。。。

 

左から張翼、向龍、馬忠、鄧芝、張苞

そして正面右側から諸葛亮、劉備、趙雲です。

 

劉備が諸将を集め、これまでの苦労、感謝、そして夷陵の大敗を詫び、

諸葛亮には国を頼むと。阿斗が使い物にならなければ、君が国の指揮をとってくれ。

 

本当に感動する場面です。

この場面は色々な説がありますが、この後、諸葛亮は本当に劉備のために命を賭して、

魏と戦い続けました。

 

白帝城を後に

 

白帝城(白帝廟)の見学を終えたら、あとは坂を降りて入口に戻るだけです。

 

補足説明

入口に戻る途中に、三峡付近に住んでいた方の、少し変わった埋葬の仕方を展示したも博物館がありました。日本語での説明もありましたので、ぜひ足を運んでみてください。

 

歩いている途中に詩人杜甫の像があったり、長江の流れを眺めたりと、

とても楽しい時間を過ごすことができました。

 

そして最後に。

ここにもありました出師表。

文面から判断すると前出師表でしょうね。

いたるところにあるので、もう驚きません。

 

おわりに

 

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

白帝城は本当に行きたかった場所で、しぬ前にいけて本当に良かったです。

今後ダムの関係でもっと水位が増しさらに景観が悪くなってしまう可能性もあります。

どうか興味がある方は、景観が壊される前に訪れてみてください!

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